生きるともしび


この間

ドキュメント番組で

94歳のおいちゃんが

72歳のみーこちゃんに

送ったお手紙がとても印象的だったのでご紹介します。


このおいちゃんとみーこちゃんは

愛媛県に住んでいます。

みーこちゃんはお好み焼き屋さんを営みながら

一人暮らしをしている高齢のご近所さんに声をかけ

毎日を送っていました。

ある日、

94歳のおいちゃんの娘さんが

一人暮らしをしているお父さんを心配し

大阪で一緒に暮らしませんか、と声をかけます。

ですが、おいちゃんは

娘さんの気持ちを汲み取りながらも

生まれ育ったこの地で死にたいと

みーこちゃんに嘆きます。

しかし、おいちゃん、風邪をこじらせ

半年間病院に入院することになってしまいました。

退院の日

おいちゃんは

みーこちゃんに大阪には行きたくないと訴えながらも

その3ヶ月後、大阪に行く決心を固めます。


数ヶ月後、みーこちゃんは

おいちゃんにお手紙を書きます。

それまで毎日のように顔を合わせ、

おいちゃんにお夕飯を作ってあげたり

留守の時にはどこへいったのかと心配したり

互いに声を掛け合っていた2人。


「おいちゃん、元気ですか?(割愛)おいちゃんに会いたいです。」


おいちゃんからの返事にはこう書いてありました。


「(割愛)みーこちゃん、長生きしていれば心捧も多いです。さよなら。」


きっと辛抱も多い、と言うことなのでしょうが

おいちゃんは「辛さを抱える」ではなく

「心を捧げる」と記しています。

誤字なのかもしれませんが

私には

3度戦争に招集された経験があるおいちゃんにとって

辛抱とは

辛さという感情ではなく

もはや自分の力ではどうにもならない無の状態、

そうしなければ精神が壊れてしまうくらい辛い状況、

なのではないかと。

戦争で、私たちの想像を絶する体験を

何度もしてきたおいちゃん。

心をどこかに捧げ

無の状態にしないと

精神がもたず

心が壊れてしまったのではないかと。


101年の人生を閉じたおいちゃん。

楽しいこと、辛いこと、悲しいこと

生きていた分、たくさんたくさんあったと思います。

みーこちゃんと出会ったのは

たったの数十年だったかもしれないけれど

きっと

きっと

幸せな、温かな、時間だったことでしょう。


「おいちゃん、おでんがぬくったよ。」


と、おいちゃんにお夕飯を

届けることはなくなってしまったけれど

みーこちゃんは

変わらず今も

お好み焼き屋さんを営んでいます。

ご近所さんに声をかけながら。

1人、またひとりと

お別れをしながら。


それでも命は続くから。


互いに干渉してないようで干渉している町

干渉しているようで干渉してない町

それぞれの生き方を尊重しながら

思いやれる心があるから

それぞれが自分らしく生きていける。

老人ホームも

デイサービスもいらない。

そこに住む人たちが自然と支え合える素敵な町。

心がほっこり温まって

涙が止まりませんでした。


誰でも誰かの灯火になれる。

誰かが灯火でいてくれるから今日も生きられる。

人は1人では生きていけない。

「おかげさまで。」

という言葉があるように。

目には見えない(影の)働きかけによって

人は生かされているということ。


私も誰かの灯火になれるように

生きていたいと思います。