「ちゃんと聞いて、よく見て」と子どもに言う大人。できていないのは大人の方だったりします。

子どもに携わる仕事をしていると

ついつい

「よく聞きましょう。」

「きちんと見ましょう。」

と、口にすることがある。

子どもというものは、さまざまなことに興味があるため、周囲の環境に気を引かれやすい。

保育者や教育者の言葉よりも

浮かんでいる雲や

チカチカする蛍光灯、

ひらひら飛ぶ蝶々などに気を取られ

ほとんど中身が入っていないことが多い。

一方で

誰かが落とした名前のないハンカチの持ち主がわかったり

困っているお友達の気持ちを代弁したり

大人が知らない情報を知っていることも多々ある。

そんなときにわたしが思うのは

よく聞いたり

ちゃんと見ていないのは

大人の方なのかもしれない。

子どもの声に耳をすましているだろうか。

子どもの心を見ようとしているだろうか。

大人は子どものためと思い

将来役立つ情報を必死で伝えようとするけれど

今この瞬間に大事な情報を見逃しているような気がする。

アンテナは違えど、子どもは子どもなりの方法でさまざまなことをインプットしているし

自らの方法で伸びよう伸びようとしている。

未熟な状態で生まれてくる赤ん坊が

たった一年で大人の言っていることを理解できるようになるのは

凄まじいエネルギーをもっているから。

たった一年で外国語を理解できるようになりますか?

たった二年で外国語を達者に話せる様になりますか?


答えはNO。

もしもYESの人がいるとしたら

それは並々ならぬ努力の結晶。

そしてそれは0歳児の赤ん坊も同じこと。

並々ならぬ努力をしている子どもたちの力を

観察力を

大人は馬鹿にしてはいけない。

子どもに教えているなんておこがましい。

大人は子どもからたくさんのことを教えてもらっているのだ。

教え育てるのが教育ではなく

教え教わり互いに育ち合うのが教育。

共に育つとかいて共育。

今日もわたしは子どもたちから、たくさんのことを教えてもらう。