埼玉の事件〜人格障害で片付けていいことではない〜

 

埼玉で起こった事件。

60代の先生、

怖かったことでしょう。

そんな中、

的確な指示を出した先生。

子どもたちの行動力と

職員の連携によって

命は守られました。

ですが

子どもたちの

心理的ショックは

とても大きいことでしょう。。。

 

こーゆー事件が起きると

どうしても

見えていることに

目がいきがちですが

実際

見えていないところに

本当に大事なことが

隠れていたりする。

そこを心の目で

どれだけ見られるかが

大事になってくる。

 

逮捕された少年は

人格障害があったのでは、

などと

犯罪心理学者の人などから言われることが

多いですが

本当にそうなのでしょうか。

 

私にはこの子が

ここまでの攻撃性を

もたねばならないほどに

追い詰められてたのではないかと

思ってやみません。

 

17歳という年齢。

何年も

何年もかけて

構築された

何かがあったのではないでしょうか。

 

もちろん

どんな理由があろうとも

人を傷つけていい理由にはなりません。

けれど

人を傷つける人が

全て人格障害と片付けてしまうのに

少し納得がいきません。

 

人格障害と外に出してしまえば

自分が安心できるから。

自分の理解を超えてしまえば

怖くなくなる

そう思っているのでは、ないですか。

 

生まれたときから

悪い赤ちゃんはいません。

育っていく中で

大きくなっていく中で

何か、とてつもない圧力を

かけられていたのではないですか?

逃げられない何かに

縛られていたのではないですか?

 

そう考えると

過度な教育や

いきすぎた干渉が

結果的に

その子を追い詰め

やり場のない怒りや悲しみを

誰かにぶつけてしまうような人格が

形成させられてしまう。

つまり

それは

特別な人だけが

持ち合わせているものではなくて

誰しもがありえるということ。

 

 

大切な人に裏切られたのかもしれません。

信頼していた人に突き放されたのかもしれません。

信じてきた道が見えなくなったのかもしれません。

何が原因かはわかりませんが

何がきっかけになるかは

誰にもわかりません。

 

だから

自分の知らない世界のことだと

そっぽを向かないで

きちんと向き合ってほしい。

 

教育熱心になりすぎていませんか。

自分の叶えられなかった夢を、願いを

子どもに託していませんか。

 

毎日一緒に

「おいしいね。」って言いながら

ご飯をたべたり

抱きしめて

笑い合って

たくさんの

大好きだよ、を伝えてあげたら

こんな悲しい事件はおきないはずなのに。

 

お母さんや

お父さんを

悲しませないように

頑張っていることに

気づいてあげてください。

その頑張りは

いつまでも続きません。

限界が来てからでは

取り返しがつきません。

頑張らないあなたも

ありのままのあなたも

できそこないの自分も

大好きだよって

言ってあげてください。

 

どこに向かって伸びようとしてるのか

見守ってあげるのが親の役目。

木の上に立って

我が子の成長を見てあげるだけで

いいんです。

そして助けを求めてきたときに

手を差し伸べてあげれば

それで十分。

 

今の時代

賢明な親が多いと聞きます。

けれど

子どもが求めているのは

聡明な親です。

子どもの

気持ちに

心に

耳を傾ける

聡明な親に

なってください。