子どもの自分では消化しきれない心理的負担が限界に達し弱者に向かったとき〜ショッキングな描写あり〜

私が小学校低学年のとき

近所に仲の良いひとつ上の友達がいた。

ある日、その友達が

近所でも頭がよく

お金持ちと有名な友達の家に行くと言うので

ついていった。


大きな門構えのあるおうち。

近所の人が誰でも知っている

大きなおうちだった。


実際家に上がってみると

長く続く廊下。

そこにたくさんのドアが並んでいた。

友達の友達に案内され

その子の部屋へ行くと

子ども部屋と思えないほど広く

質素な感じの部屋が広がっていた。

ひとつ上のお兄ちゃんの部屋というよりも

大人の人の書斎のように感じた。


その子のお母さんが

たくさんのお菓子を運んでくれた。

テーブルいっぱいに並べられたクッキー。

そしてジュース。

「ごゆっくり。」

とドアを閉めて出て行くお母さん。

私、友達、友達の友達の3人になり

その友達の友達が「あそぼう!」と言い出した。

見渡しても遊ぶモノなどなにもない部屋。

オモチャはおろかトランプなどもない。

なにをして遊ぶのかと思ったら

部屋の隅にあったうさぎのゲージを

私たちの前に持ってきた。


この子を触らせてくれるのかな?


と思ったら

小さな紙の箱にうさぎを入れ

高いところから落とし始めたのである。

ゲラゲラ笑うその友達。

衝撃すぎて言葉にならない私。

小さいながらに

「この人おかしい」と思った。

何度も何度も繰り返す友達の友達。

怖くて部屋から出たかった。

家に帰りたくなった。

何度か繰り返すと

大きな物音に気がついたお母さんが

「何の音?」

と階段下から声をかけた。

「なんでもないよー。」

と返事をし、その遊びをやめる友達。

箱からうさぎを出すとガタガタ震えていた。

今日が初めてではないように感じた。


その後のことは覚えてないが

怖くて

家に帰ってすぐ

その子のお家であった出来事をお母さんに報告した。

そして母から

その子のお母さんに

うさぎが可哀想だからやめるよう言ってあげて

と言った記憶がある。

大人になった今ならわかるが

他人が介入できないこともあるのだろう

結果、私の母が伝えることはなかった。


その一件からその友達の友達の家へ

行くことはなかったが

今でも家の前を通るとフラッシュバックする。


その子はとても頭が良くて

私立の小学校に通っていたと思う。

習い事もたくさんやっていたと聞いた。

お父さんは確か大手企業に勤めていたらしい。

その当時は大きな会社とかよく分からなかったが

家の様子から裕福な家庭なんだろうなぁとは

子どもながらに感じていた。


友達の友達くらいの関係性だから

その子がどんなふうに育てられていたかは

知らない。

けれど、親に自分の意見を言えず

押し殺していたのだろうとは想像がつく。

きっと彼は病んでいたのだ。

そうじゃなきゃ

抵抗も

反抗もできない

小動物に

あんなことをしない。


もしかしたら

両親に初めて

「うさぎが飼いたい。」

と言ったのかもしれない。

もしかしたら犬や猫が飼いたいと言ったのに

受け入れてもらえず

うさぎなら、小動物ならと

受け入れてくれたのかもしれない。

なにも不足なく感じられる彼の環境は

彼にとったら窮屈で

でも誰にも言えなくて

その捌け口が

うさぎへと向けられたのかもしれない。


全て想像だけど。


これが動物ではなく

人間だったら?

と考えると

とても怖い。


あれから彼はどんな道を進んで

どんな大人になったのだろう。

心が壊れていることに

両親は気づくことができただろうか。

病んでる自分に気がついて

SOSが出せただろうか。


私の知り合いは

小中と公立の学校。

高校は内申点が足りず私立に行き

大学は某有名大学に行った子がいる。

(地頭がよくテストはほぼ満点)

(けれど授業態度が悪くオール1だった)


その子が大学に進学した後よく言っていたのは

「勉強しかしてこなかったやつばっかでつまんない。」

だった。


みんながみんなそうではないにせよ

親が敷き詰めたレールを

高校や大学まで

文句も言わずに

(言わせてもらえずに)

歩む人は実際少なくないのだろう。


勉強しかり

習い事しかり

生活習慣しかり。

子どもが将来困らないように

子どもの将来のためと思い

動いていることは

本当に子どもの願いなのだろうか。

子どもにとったら

将来のビジョンや希望がはっきりと見えないままに

今という時間が犠牲になっているのではなかろうか。


年長さんのクラスで

嫌いなモノについて盛り上がったとき

みんなだいたい嫌いな食べ物について

話をしてくれたのだが

ある一人の男の子だけは

「嫌いな食べ物はないけど、勉強が嫌い。ゆっくりテレビみたい。」

と教えてくれた。

学校に入る前から

勉強という言葉を知っており

さらに嫌悪感すら抱いていることに私は驚いた。

その子の親が

どんなふうに

学習を進めていたか分からないが

察するに

その子の意思では全くないことが垣間見れた。

もしかしたら光る原石を親が見出し

機会を与えたのかもしれないが

その子の発揮したいと思うやり方と

マッチしなかったのかもしれない。



ここで一冊の本を紹介したい。

図書館で借りた本だったのだが

手元に置いておきたくて

中古で手に入れたものだ。

浜田さんの著書は読みやすくとても興味深い。

ぜひたくさんの人に読んでほしいと思う。