始めか終わりを担って欲しい家のこと

 

家のことをやっていると

最初か最後のどちらかを

担って欲しいといつも思ってしまいます。

例えばお風呂。

お風呂掃除して

タオルの用意して

沸かしておくから

最後に入った人は綺麗に吹き上げてでるとか。

 

食事についてだったら

お料理は作ってお皿に乗せるから

テーブルセッティングをする、とか。

お皿洗いはするから

流しに食器を運ぶ、とか。

どこか一旦を担ってほしいですよね。

入りっぱなし

食べっぱなしは

整えてくれた人に失礼です。

 

もちろん

整えている側も

整えられている側も

両者が

「してあげている」精神ではなくて

「してくれてありがとう」精神を

お互いが持つのが大前提なので

そう思えば自然と動けると思うのですが

それがなかなかうまくいかない。

 

平等というのは

全て均等に二分の一ではなく

できる人ができることを精一杯やる心構えが

大切なのだと

何かの本で読みました。

させられていると思うから

苦手なこともしなきゃいけないと思うから

しんどいのだと。

 

だって

男は女にはなれないし

女は男にはなれないのだから

2人で担っているという意識そのものが

大切なんだよ、と。

 

うちでは

夫がプチ単身赴任のため

家事は娘と2人で担っています。

最初は

お風呂とご飯系は私の仕事

布団敷きと洗濯物畳は娘の仕事

と、わけておりましたが

どうも上手くいかない。

ため息をついたり

雑に敷いたり。

 

そりゃそうです。

散々ぱら

学校や学童で

しなきゃいけないことに追われて

やっと一息つける家に帰ってきたのに

やらなきゃいけないことだらけなんですから。

 

最初は太郎の態度に

こちらもイライラして

おうちのことはみんなでやるもの精神を

押し付けていましたが

考え方を変え

どうやったら負担なく動けるか

考え直すことにしました。

 

 

学校に、学童に

一日頑張って

やっと帰宅したわけだから

ぼーっとテレビ見たい気持ちもわかる。

自分の好きなことに時間を

費やしたい気持ちもわかる。

でも私としては

洗濯物の一つでも畳んでくれれば

大助かりなわけです。

 

そこで

布団敷きは免除をし

洗濯物畳みのみお願いすることにしました。

洗濯物畳と一口にいっても

①室内に干されている洗濯物の回収

②洗濯物からハンガー、洗濯バサミを取る

③たたむ

④畳んだもの各々の場所にしまう

⑤ハンガー、洗濯バサミを片付ける

と工程が幾つもある。

これだとせっかくテレビを見ようと

どかんと腰を下ろしたと思ったら

また立ち上がって

洗濯物を集めるところから

スタートしなくちゃいけないなんて

そりゃため息の一つも出ますよね。

(本当だったらそうならないためにはどう行動すればよい?と問うところですが疲労感MAXの太郎にそんな問いをしたところで無意味です)

 

だからハードルを下げ

③と④お願いすることに。

 

つまり

私は

ハンガー等外した状態の衣類を集めて

娘の座っているソファへどーんと置くわけです。

すると娘からしたら

よいしょされた状態からスタート。

なにも障害物がないから

テレビを見ながら

自然と手が動くわけです。

 

本人的にもやらされてる感はなく

ついでに手が動く、みたいな。

やってもらう側も

やる側も

無駄な争いが起こらず

心穏やかに過ごせる。

 

うん、いいね。

試行錯誤、大事ね。