ゼレンスキー大統領 小学5年 生きるということ

 

ゼレンスキー大統領が

広島の原爆ドームをみて

故郷のウクライナ

重なることがあっただろうねって

太郎に言ったら

「どうしてスーツじゃないのかなって思った。」

「お金がないのかなって。」

 

そっか。

そこに目がいって

そういうふうに5年生は考えるんだ。

 

「スーツを仕立てる場所も、売るところ、携わる人も、材料もなにもかも、なくなってしまったのかもしれないね。」

「お金を出してなんでも手に入ることは、当たり前じゃなくて有難いことなんだね。」

 

と、太郎に話しました。

 

かつて

日本も

今のウクライナのような時代があったこと

それによって辛く

悲しい思いをしている人が大勢いること

たくさん

たくさん

感じていると思う。

けれど

戦争は

どっちか片方が悪いわけではないということ。

日本によって

悲しみに包まれた人もたくさんいることを

忘れちゃいけないし

加害者や被害者にわけられず

みなが犠牲者であること。

 

5年の社会で

北方領土竹島尖閣諸島について

太郎と学んでいるけれど

日本も同じように

他の国を占領・支配していた過去も

同じタイミングで

学んだ方がいいと思う。

 

子どもの頃

大人たちは

「人の話は最後まで聞きましょう」

とか

「物を勝手にとってはいけません。」

とか

「貸して、いいよ、など必要なことは言葉でやりとりしましょう。」

とか言うくせに

国際問題とか

国会討論とかみると

全然できてないくせに

何を偉そうなこと言ってるんだろうって

思っていたけれど

大人になった今、わかることは

こんな大人にならないようにっていう

反面教師なのかなって。

 

チャンネルを変える

数秒しか

サミットについて

見たりしないけれど

その数秒でも

感じ、考え、得られるものがある。

太郎と話をするきっかけになる。

 

今ここで

感じ

考えている

自分がいること。

生きていると言うことを

当たり前と思わず

ありがたいと思いながら

一瞬一瞬の命を

全うすることが

生きるということなんだろうなぁ。