運動会に向けた練習についてテキトーにごまかす術を授けるワタシ


今月末に運動会があります。

うちの子の学年種目は

どうやら縄跳びらしいです。

目標は

運動会までに二十跳びとハヤブサ

学年全員が跳べるようになること

らしいです。

が。

そんな無茶な、と思うのは

私だけでしょうか。

ただでさえ運動神経が良いほうではない太郎。

母である私も

縄跳びは得意じゃないし

むしろ疲れるから嫌いだし。

得意不得意な子がいる中で

全員一律に

「二重跳びとハヤブサを跳べるようにする」

という目標を掲げるって

おかしくないですか?

本当に跳べるようになりたいとか

縄跳びが好きとかだったらわかりますが

苦手な子には苦痛そのもの。

しかも運動会終わったら

せっかく身につけたスキルを

披露することもないですし。


まあ大縄よりかはいいかと思いますが。

失敗したらそこで記録が止まってしまって

明らかに誰かのせいみたいになる大縄よりは。


でも嫌なことを強要されることには変わらないわけで。

太郎、かなりプレッシャーに感じてるらしく

「失敗してもいいんでしょ?」

と練習がある日に必ず確認。

そんな我が子を間近で見て

いよいよ言ってしまいました。

「テキトーにやんなさい」と。

本番なんて失敗しようがしまいが

終わってしまえばなんてことないし

終わっちゃった後、先生はきっと

「頑張りましたね。」くらいしか言わないし。


他の親御さんなんて自分の子しか見てないんだから

テキトーでいいんだよ、と。

練習のときも一生懸命なフリすれば良いよ、と。

まず、

そもそも、

この競技をやる意味から謎なんですもん。


・できないことにも挑戦することが大切ってこと?

→できないことに挑戦したいかどうか聞くことからでは?


・できた時の達成感を感じさせたいってこと?

→何に挑戦するかを決めるのは、先生ではなく本人であるべきかと。。。


集団として発表することに意味があるのであれば

集団で何を発表するか話し合い、

練習方法から発表方法まで

すべて子どもたちが決めることであり

先生方が

「4年生はこれでいきましょう!」

と決めることではないはず。

しかもそれが

「毎年縄跳びに挑戦してるから」

なーんて流れだったら尚のこと

納得できません。

だって話し合いの場に

主役の子どもがいないのですから。


せめて

なぜこの目標にしたのか

子どもたちに話し納得してもらうことが

最低限のマナーではないのでしょうか。

やり方が一方的なこと、多いですよね。。


決められたことをやり抜くことや

できないことに挑戦してみること、

やりたくないことを断固拒否することも

大切なことですが

テキトーにやり過ごす力も

私は大切だと思います。

「先生たちはそれを求めているのね。付き合ってあげるかー。」

みたいな。

嫌な気持ちで毎回練習に参加したり

当日が来るのが嫌で雨乞いをしたり

熱出ないかなーと切に願ったり

苦痛からお腹が痛くなったり

学校に行きたくなくなるより全然マシ。

「しゃーない付き合ってやるかー。」

ぐらいのスタンスでいいんです。

「ママが小学生だったらそうするな〜。」

って思わず言ってしまいました。


正しいとか

正しくないとか

そこじゃなくて

我が子のメンタルが守られれば万々歳。

マイナスなことに出会ったときに

いかに切り抜ける力を身につけるか、も

生きていく上で私は大事な力だと思います。