女性ばかりに焦点をあてるのはおかしい〜赤ちゃん産み落としと子宮頸がんワクチン〜


ホテルのトイレで

赤子を出産後、置き去りにしたとして

29歳の女性が殺人未遂容疑で逮捕された。

母親に焦点を当てがちだが

①子どもを孕ませた相手への責任

②彼女の取り囲む環境

③好き勝手言うだけでなにも援助をしない傍観者

に焦点が当たることはない。


子どもを作るには相手がいるし

その相手への責任はほぼ問われないのは

一体なぜなのか。

同じような事件が過去にもあるが

相手である男性が表に出されることはない。

矛盾どころか憤りさえ感じる。

なぜ女性だけが思い詰め、

悩み、

現実に向き合わなければならないのか。

刑罰を与えられるのであれば

彼女だけでなく

相手である男性も

同じでなければおかしい。


今はスマホでなんでも調べることのできる時代。

出産に伴うリスクを

彼女が知らなかったとは考えにくい。

であるならば

一人で出産することが

いかに危険なことであるか、

自分の命に関わることであるか。

知っていただろう。

それを承知で産むということは

万が一自分に何かあっても

良いと思っていたのではないか。

自分を大事にできない人は

他人を思いやることはできない。

自暴自棄になっている状態で

これから生まれてくる赤ちゃんのことを

考えられるわけがない。

自分があっての相手である。


誰にも頼らず

一人でことを終えようという考えに至るまで

彼女は孤立していたのだ。


彼女自身、自分の体を危険に晒すことへの恐怖を

これっぽちも感じなかったのだろうか。

同じく出産を経験した立場から言えば

絶対にそんなことはない。

痛かったであろう

苦しかったであろう。

孤独であっただろう。

そんな彼女の心境に目も向けず

トイレで産み落とし、

置き去りにした現実のみに焦点を当て

罵倒中傷する世の中はおかしい。

本来であれば

そうならざねばならなかった背景に焦点をあて

非難すべきではないのか。


彼女自身の力ではどうにもならなかった環境に。

彼女自身がどうにかしようとしなかった状況に。



赤ちゃんの命が助かって良かったと他人は言う。

では、その産み落とされた赤ちゃんについて

直接的な支援をしてくれる人が

その中で一体何人いるのか。

数年後、

その赤ちゃんのことを

覚えている人が

何人いるか、という話である。

誰もがその瞬間のみで

その後どう育っていくかには無関心であり

母親が逮捕され

赤子が助かったことのみで

このことは完結してしまう。

けれども

命が助かったと言うことは

命が尽きるまで

その子は一生

授けられた宿命を抱えて生きていくということ。

生きていてよかったと

手放しに喜べるのは

外野であって

生きのびていることをどのように感じるかは

その人次第である。


また

彼らをサポートできる体制が

この社会に十分整っていると思えないと感じるのは

私だけではなかろう。


このような悲しい事件が後を絶たないのは

社会のせいだと思うし

一人一人の考え方が変わらなければ

無くなることはない。


・SOSを出しても誰も助けてくれない

・SOSをどこに出せば良いかわからない

・SOSを出していいのかさえわからない

これは望まない妊娠をする人に限ったことではない。

弱者全体に対し厳しい社会である。


もう一つ

私には違和感に感じていることがある。

子宮頸がんのワクチン接種についてだ。

広告などを見ても

母親らしい人、

制服を着た少女、

医者が写っているものが多い。

なぜそこに男性は入らないのだろう。

たしかに子宮という器官は

女性特有の臓器である。

しかし、子宮頸がんの原因は

性交渉から感染する。

となれば、

やはりここでも相手が必要ということになる。

諸外国では男性への接種も推奨されている。

女性だけが自分の体は自分で守る日本とは違い

男性も相手の体を守る責任があるという考えだ。


女性にも

男性にも

平等な社会であってほしいと

心から願う。