私の育て方が悪かったのかしらと言う言葉が嫌いです。


テレビとか見て

「私の育て方が悪かったのかしら。」

ってゆー親、たまにみるのですが

あまり好きな言葉ではありません。

子どもサイドに立って

「あなたに育て方があるように、子どもにも育ち方ってあるんですー!」

って言いたくなります。

もちろん全ての親は

「こんな子に育って欲しいなぁ。」

と願いを込めて子育てしておられると思います。

それと同じように子どもにも

「私はこうなりたい!」

っていう希望を持って毎日を過ごしていることを忘れないでいただきたい。


たとえ親が思い描いていたように育たなかったとしても、それをまるで悪のように言わないで欲しい。

それは子どもを全否定していることと同じです。

うちの子は女の子ですが、カッコいいものが好きでレンジャーものの洋服を着ていたり、自分のことを「ぼく」と言ったりします。

私は「あなたは女の子よ。」と育てるのではなく

「あなたはあなたよ。」と育てています。

そんなうちの子は、保育園に通っている時

「なんで女の子なのに自分のことぼくって言うの?」

とお友達に言われ

「僕って言いたいから。」

と、答えたり

小学生に上がり、自分が好きだった1世代前のレンジャーもののシャツを着ていって

「それ男の子のだよ。」

と言われても

「柄なんて気にしてない。生地がいいの。」

と、跳ね返す力を持っていたりします。

さらに、下校時、お友達に「一緒に帰ろう」と誘ったら他の子と帰ると断られた日がありました。

そこで「なんで私とは一緒に帰ってくれないの?」と自分の意見を押し付けたりせず、「◯◯ちゃんは他の子と帰りたいんだ。」と相手の気持ちを認められる優しさも持っています。

自分が認められているから、相手の価値観を否定しません。

ありのままの自分を容認されることほど、その人を強く、優しくさせるのです。


いじめの理由として「なんか気に食わないから。」ということが多いらしいです。

そーゆー子はきっと、自分を認めてもらえたことが無いのではないかなぁと思います。

そして相手の言葉に右往左往される子もまた、さりげなく意見を押し付けている親のもとで育ったのではないかと思うのです。


ありのままを認めてあげることが、いかにその子を救うか。

そしてそれはやがて派生して、いかに社会を優しくするか。

この子は私の子であっても

この子は自分の分身ではなく他の人間です。

遠くにいるから小さく見えるのです。

自分の足で立ち、前へ前へと歩いています。