人に迷惑をかけるな ではなくて 周りに配慮できる人になろう と子どもには教えたい


いつも思ってたんだけど

「人に迷惑をかけるな」

って言葉

なーんかひっかかるんですよねぇ…


そもそも人に迷惑かけないで

生きている人なんていないだろうし。

だから、正しく言うと

「周りに配慮できる人になりなさい」

って言うべきだと思うの。


もちろん

夜遅くの暴走族のエンジン音とか

ゴミを収集日以外に出すとか

他人を傷つける行為だとか

許せないことはもちろんある。

けれど、「それって迷惑って言える?」っていう部分まで勘違いさせてしまってる気がする。


バスや電車の中で赤ちゃんが泣くのは迷惑?

公園から子どもの声が聞こえてくるのは迷惑?

買い物の際、前に並んでいるおばあちゃんが支払いに戸惑っていたら迷惑?

車椅子が歩道いっぱい使って低速度で通行していたら迷惑??


考えたら考えるだけ弱者に冷たい世界。

生きづらい、優しくない世界。


迷惑だと思う行為って感じる人によって様々だと思うのよ。


日本人て「〜するな」の表現、好きよね。

コロナに負けるな

とか

廊下は走るな

とか


そうするとどうなるかって

約束を守れていない人=悪い人になってしまって

責めるようになる。

その根底には

「私は守っているのにあの人は守れていない」

っていうのがあるから。


だから「〜するな」の表現ではなくて

「〜するようにしましょう。」

に変換できたら一番いい。


例えば

朝の通勤ラッシュ。

ホームを全速力で走るサラリーマンの場合。

当事者→走らなくてすむように時間に余裕を持ってでかける

周囲の人→走っている人がいたらぶつからないように避ける

とか。


狭い道で路上駐車しそうになったら

当事者→近くのコインパーキングを探す

周囲の人→優しく止めねばならない致し方ない状況があると察知する

みたいな

片一方に求めるのではなくて

両者が、お互いが気をつけようとできるわけ。

自分ばっかり!っておもわなくなる。

お互い様ねって共助、互助の関係性が自然と生まれてきて

みんなが

みんなに

優しい世界になる。


人間死ぬまで人に迷惑をかけずに生きることなんてできないんだから

相手のことも許さなきゃ。

受け入れるんじゃなくて許す。


我が子には考えを押し付けるのではなくて

まず、私自身がそういう態度で日々を過ごし

身近なモデルになりたい。