支えられているということ感じた朝

 

今日は早い出勤。

5:30 家を出る。

コンビニに寄り、温かい飲み物を買う。

5:50 バスが来る。乗車する。

 

あぁ、この世の中は

働いている人に支えられているんだな、と

しみじみ思う。

 

朝早くから

「おはようございます、いらっしゃいませ。」

と言う店員さん。

昨日の夜から働いているに違いない。

疲労もピークだろう。

体内リズムも狂うだろう。

 

安全運転をしてくれる運転手さん。

何時に出勤してるのかな。

何時に起きているのかな。

奥さんの作ってくれた朝ごはん

食べてからきたのかな。

 

働いている人しか

目に見えていないけれど

実はこの働いている人を

支えている人や

働いている人の

心の支えになっている人がいることも

忘れてはいけない。

 

それは直接的に

生活面で支えている人かもしれないし

遠く離れた場所に住む

息子を思う母親かもしれない。

実は

知らないだけで

感じていないだけで

いろんな人に

想われたり、心を寄せられている。

 

レジ対応してくれた店員さんに

「ありがとうございます。」

と言葉をかける。

バスを降りる時に運転手さんに

「ありがとうございます。」

と言って、降車する。

一見その人だけに対する言葉のように感じるけれど

私はその人以外のいろいろな人に

感謝の気持ちを伝えるつもりで言葉を吐く。

「言葉は心 」と俵万智さんが言っていたけれど

本当にそう思う。

 

そんな私も

夫に娘を預け

朝早くから出勤しているわけである。

夫や娘の理解、協力があるからこそ

働くことができている。

 

 

人間1人じゃ生きていけない。

目に見えてることが全てじゃない。

誰しもが

他人の生活の一端を担っているということ。

自分がそこに生きているというだけで

誰かの役に立っているということ。

目に見えないさまざまなことに

有難い、ありがたいと思いながら

今日も仕事に行く。