年齢という尺度〜36歳という数字に翻弄されない〜


来月で36歳になります。

3回目の寅年。

2回目の寅年も感慨深かったけれど

3回目の寅年もなかなか。

では24歳の時とくらべて

大きく変わったかといったら

もちろん結婚して子どもを産んで育てて…

という大きな変化はあるものの

私自身は変わっていない。

12歳の頃と比べたら…

当時は小学校という狭い世界にいたけれど

やはり中身は今と変わらず私のまんま。

(客観的にみて変わったと思われるかもしれないけれど、自分にはわからない)

そう思うと年齢なんて

外側からの尺度であって

人間の中身そのものに大きな変化はない。

変化して行くのは環境の方。

自分自身は結局

めまぐるしく変化する環境の中で

ワタシのままで過ごしてる。

きっと4回目の寅年

5回目の寅年と

年齢を48歳、60歳と重ねていっても

普遍的な自分。

生涯現役ってそういうことなのかな、と。

もちろん考えは落ち着いてくるかもしれないし

様々なことに寛容になるかもしれないけれど

根本的な部分はそのままなんだろうなぁ。


数字って便利ですよね。

共通の尺度を持てるから。

身長160cmとか

お代は300円ですとか

今から20分後に着きますとか。

一方で不便というか翻弄もされませんか。

小学1年生の平均身長は◯cmとか

生後3ヵ月の粉ミルク摂取量は◯mlとか

今日の最高気温◯度とか。。。

基準を設けられると苦しくなりません?

身長とか摂取量とかって

人それぞれですし

最高気温を知ってるから余計暑く感じたり。


年齢なんて余計そう。

私自身子どものときは

30代、40代っておばさんのイメージだったけど

いざ自分が四捨五入して

40歳になる年齢に差し掛かってみたら

中身はなんにもかわらない。

(体力が衰えたくらい?)

だから

70代や80代は

おばあさんというイメージを持っているけど

いざ自分がその年齢になったら

足腰が動きにくくなったなぁとか

目が見えにくくなったなぁとか

思うかもしれない。

けど、実際心は何も変わらないんだろうなぁと。


数字とはうまく付き合う必要がありますね。